第3回 能登半島地震・能登半島大雨災害ボランティアパックについて(活動報告)
2025年1月6日 08時30分能登半島大雨災害における、被災地でのボランティア活動を行うため、当社協職員同行のもと被災地へ向かい、災害復旧活動を行う第3回ボランティアパックを行いました。職員よりご報告いたします。
能登半島地震・能登半島大雨災害ボランティアパックについて
今回は、参加者7名の内、ボラパック経験者4名。また、ご夫婦(御主人は建築士!)や、過去に参加された娘さんがお母さんを誘って参加して下さいました。
1日目は大雨。
「明日は晴れるといいな。」、「現地はどうなっているんだろう?前より復興が進んだかな?」、「岡谷は大丈夫かな。」。こころの声がそっと漏れながら、私たちは珠洲市へ向かって走ります。
高速を降り、珠洲市へ続く道路は、デコボコながらも車が対面通行で走れる程に復興していました。しかし、地震から1年近く経った今でも、土砂崩れや崩壊した家屋、斜めに倒れた電信柱など甚大な被害があちこちに残っており、改めて未だに続く支援の必要性を感じたのでした。
宿泊所は、国内外から年間1万3000人余りが訪れ、地方の誘客成功例として注目を集める石川県能登町宮地一帯の農家民宿群「春蘭(しゅんらん)の里」。
自家発電と貯水槽を持っていたため、1月の地震の際は、いち早く宿泊所や隣接したコインランドリーを開放されたそうです。
夕食時の自己紹介タイム。皆さんに参加動機を伺いました。
「自分でも何か人のお役に立てることがあればありがたいことだから。」、「岡谷の災害時に助けてもらったから。」、「他人のために思っても、行動出来ないことが多かった。でも今回は経験したかったから。」皆さんそれぞれの想いを抱えての参加。一人ひとりの力は小さくても、同じ目的を持った人が集まれば、10倍、100倍の力が湧いてきます。
2日目は快晴です!まず珠洲市ボランティアセンターへ。
他県社会福祉協議会から集まった職員が、車やボランティアを誘導し、効率よく役割を振っていきます。ちょうど土日祝日ということもあり、全国から多くの人が集まっていました。私たちの今日の活動内容は、住人が仕分けたゴミ(割れた瓦やタンス・棚・布団など)を収集場まで持って行く、というもの。ガラス戸の棚などはこちらで壊し、種類別に分けなければなりません。お家の方にとっては大切な思い出が詰まった一つひとつ。どんな思いで壊れてゆくのをみているのでしょうか。
紺碧の海に沿った埋め立て地に、大きな収集場がありました。あ、東北訛りだ。仕事にしろ、毎日大量に出るゴミをせっせと仕分ける職員の姿を見て、本当にありがたく思いました。
活動終了時、お家の方が冷えたジュースやお菓子を持ってきてくれました。「(今日の活動は)一人じゃできなかった。本当にありがとうございました。」と何度も何度も頭を下げるお母さん。私たちの方こそありがとう。〝ありがとう″という言葉がこれほど力強く、お互いを繋ぐ言葉だとは。
最終日3日目も快晴!
今日の活動は、2班に分かれ、1班はゴミの運搬と処分、2班は大型家具の運び出し。それぞれの家は離れていましたが、両家とも海の側に建っており、当時は津波が押し寄せてきたそうです。
1班のお宅は、すでに泥や大半の物は片付けられており、家の中はガラーンとしていました。息子さんは残ったゴミを片付け、お母さんは椅子に座り最後まで見届けます。次々とゴミを運び出す中で、息子さんは子どもさんの写真を手に取り、しばらく間をおいて、「やっぱり取っておく。」と仰ったのが印象的でした。
2班のお宅は、家がだいぶ傾いていました。隣の家へ引っ越すために、大型家具や荷物の運び出しが主な仕事。大きな3つの桐タンス。おばあちゃんの嫁入り道具かな。みんなで傷つけないよう大切に運びました。
あっという間の3日間。帰りの車は皆さん静かです。翌日仕事があるにもかかわらず、皆さん明るく元気に活動して下さいました。さぞ疲れたことでしょう。
同じ目的のために行動を共にしたメンバーは結束力が強い様に感じます。この3日間を通じて、これほど〝ありがとう″の言葉が飛び交ったことはないのでは、と思うほど、お互いがお互いを想い合う時間となりました。私自身非常に貴重な体験をさせて頂き、皆様に感謝です。ご参加頂いた皆様、現地で出会ってくださった方々、本当にありがとうございました。